井上陽水「人生が二度あれば」やクイーン「ボヘミアン・ラプソディー」の詩にあるように、既に起こってしまったことや取り戻せない時間を悔やむことは誰しも経験することで珍しいことではありません。「覆水盆に返らず」な現実は、しばしば私たちを悩ませ、底無しの後悔を誘います。我々にとって現実の時間は不可逆で、過ぎてしまえば二度と元へは戻りません。何故でしょうか?
熱力学の第二法則によると、宇宙のエントロピー(S)は常に増大し、これ以上増えることが出来ないエントロピー最大の状態、すなわち「平衡」に達すると、宇宙の内部ではこれ以上いかなる正味の反応も観測出来ない状態になります。エントロピーとは乱雑さの程度を測る尺度であり、巨視(マクロ)的に捉えると、熱量Qを絶対温度Tで割り算したもの、微視(ミクロ)的に捉えると、ボルツマン定数をk、取り得る状態の数をWとしたとき、S = k lin W と表すことができ、エントロピーは乱雑さの尺度、という解釈からはこちらの方が理解しやすい。例えば、部屋の中が散らかって乱雑な状態というのは、たまたま散らかっている一つだけの状態を指すのではなく、膨大な数の散らかっている状態のどれでも良いので、整頓された秩序のある状態よりも場合の数が多くてエントロピーが大きな状態ということになります。
いま直方体の箱の中に10個の気体分子(例えばヘリウムガス、吸い込んで声を出すと可愛くなる気体)が入っているとします。気体分子のそれぞれは別個の存在なので、便宜上区別するためにA〜Jの記号を振っておきます。この箱を左右二つに仕切ったとします。10個の分子が全て右の区画にある場合の数(状態の数)は一通りしかありませんが、、もし左右それぞれの区画に5個ずつあるとすれば、その場合の数は、10個の中から右の区画に入れる5個を選ぶのと同じなので、10×9×8×7×6 ÷ (5×4×3×2×1)= 252通りあります。左右に入れる個数を指定しない、すべての場合の数は2^10=1024通りなので、両方の区画に均等に5個ずつ入る確率は252÷1024≑0.25で約4分の1になります。左右に4個と6個、3個と7個と不均等になるほど確率は低くなり、全部の分子がどちらか片方の区画に入る確率は0.002です。
したがって、平均して1秒に一つの分子がランダムに左右に移動すると仮定すると、1024秒÷2(約8分半)に1回はすべての分子がどちらかの区画に1秒程度滞在する時間がありますが、多くの時間はどちらの区画にも均等に近い割合で存在することになります。この例は、気体分子が10個、1気圧なら体積が10立方ナノメーター(10^-9 m)^3 程度のミクロな系を想定している場合の話ですが、普段我々が知覚出来るような体積の箱と気体分子の数(例えば容積1リットルの箱に10^23個くらい)になると100億年観察してもすべての分子が片方の区画に局在することはありません。つまり、物質がどこかの場所に局在した状態から宇宙が始まったとして、物質分子は移動できる空間の中でなるべく均等に分布するように拡散して行き、二度と元に戻ることはありません。「マクロな系では、常に確率のより大きな状態に変化していく」というのが熱力学の第二法則の意味するところで、これが過去から未来という時間の向きを決めている唯一の根拠なのです。言い換えると、時間が不可逆で我々が過去に戻ることが出来ないのは、確率の高い事の方が起こりやすい、という当たり前の事実に基づいていることになります。しかしミクロな系、たとえば上に挙げたような微小空間になってくると、そこには瞬間的に物質が全く存在しなかったり、平均値の数倍の分子が存在する特異な状態を観察することが出来るようになります。これをカメラで撮影してやると、時間が逆転するような不思議な映像を見る事ができ、これをstochastic 効果というのでした。この効果が観察されるほど生物の体が小さくなってしまうと、その振る舞いは予測不可能で制御の効かない事態が生じてきます。生細胞の小ささの限界は、そうならないように決まっていると考えられていて、時間の不可逆性は、生物に不可欠な秩序を保つための宿命なのです。
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