2023年11月26日日曜日

東岸ロード、富山県

浜黒崎海岸

予報が外れて気持ちの良い晴天。富岩運河右岸の中島公園をスタートして、ほぼ海岸線を魚津まで走ってきた。帰路は、経田駅から電鉄富山までサイクルトレンを利用した。空気が澄んでいて立山がよく見えました。


本日のルート(経田駅から電鉄富山までサイクルトレイン)

中島閘門
東岩瀬
大漁橋から
岩瀬浜

滑川市街から毛勝三山・剣岳
栗山追分線(県道138)から僧ヶ岳・毛勝山

 

2023年11月23日木曜日

天生峠、岐阜県

荻町展望台上から野谷壮司山


好天の休日。白川郷から冬季閉鎖された国道360(河合〜白川郷林道)をたどって天生峠に登ってきた。標高1200mまで登ったものの、峠(1250m)の手前で
積雪に阻まれて引き返した。今週末は平地でも雪の予報が出ているので、今年最後の林道サイクリングになりそうだ。



本日のルート

荻町入口を左折
冬季ゲート
最初は快適
ソウレ山(1433m)
林道展望台(1130m)から白山
野谷壮司山〜三方岩岳(真中が白谷)、右斜面のジグザグはスーパー林道
標高1000mを超えると積雪が増えてくる
峠まであと500m地点でギブアップ
荻町展望台に立ち寄る
町を散策
戸ヶ野台地から猿ヶ馬場山

 

2023年11月19日日曜日

エルサレムにて

 

白木峰のブナ林@2017年11月19日


30年程前、仕事で一週間ほどエルサレムに滞在したことがある。空き時間に街をぶらついて公園で一服していたとき、通りすがりのおじさん(今の自分と同じような年齢?)に声をかけられた。

「日本人か?」

「はいそうです」

「この国(イスラエル)についてどう思うかね?」

「、、、、なんだか揉め事が多いようですね」

「日本だって昔はそうだったろ」

「、、、その通りです。でも今は、、、、」

「この国だっていずれそうなるさ」

「そうなることを祈ります」

今調べてみると、当時は1993年のオスロ合意によりパレスチナ自治政府が設立される直前で、イスラエルではパレスチナ人による第一次抵抗運動末期、和平への期待が高まっていた。自分は今以上に無知だったので、イスラエルとパレスチナ人の対立が「アラビアのロレンス」で描かれた戦争と何か関係している程度の知識しか持っておらず、具体的なことは何も知らなかった。エルサレムでは、イスラム教の聖地である「岩のドーム」やユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」がある旧市街も訪れた。イエス・キリストのお墓とされている聖墳墓教会へ行った時、ガイドの牧師さんが自分と同じカシオの腕時計をしていたのが妙に印象に残っている。

 数年前に村上春樹がイスラエルの有名な文学賞を受けて、エルサレムで受賞式に出席した、というニュースは何となく覚えている。このときの受賞スピーチの内容が、村上春樹新聞 に出ていたので、少し長いですが引用させてもらいます。

私は一人の小説家として、ここエルサレム市にやって参りました。言い換えるなら、上手な嘘をつくことを職業とするものとして、ということであります。

もちろん嘘をつくのは小説家ばかりではありません。ご存知のように政治家もしばしば嘘をつきます。外交官も軍人も嘘をつきます。中古自動車のセールスマンも肉屋も建築業者も嘘をつきます。しかし小説家のつく嘘が、彼らのつく嘘と違う点は、嘘をつくことが道義的に非難されないところにあります。むしろ巧妙な大きな嘘をつけばつくほど、小説家は人々から賛辞を送られ、高い評価を受けることになります。なぜか?

小説家はうまい嘘をつくことによって、本当のように見える虚構を創り出すことによって、真実を別の場所に引っ張り出し、その姿に別の光をあてることができるからです。真実をそのままのかたちで捉え、正確に描写することは多くの場合ほとんど不可能です。だからこそ我々は、真実をおびき出して虚構の場所に移動させ、虚構のかたちに置き換えることによって、真実の尻尾をつかまえようとするのです。しかしそのためにはまず真実のありかを、自らの中に明確にしておかなくてはなりません。それがうまい嘘をつくための大事な資格になります。

しかし本日、私は嘘をつく予定はありません。できるだけ正直になろうと努めます。私にも年に数日は嘘をつかない日がありますし、今日はたまたまその一日にあたります。

正直に申し上げましょう。私はイスラエルに来て、このエルサレム賞を受けることについて、「受賞を断った方が良い」という忠告を少なからざる人々から受け取りました。もし来るなら本の不買運動を始めるという警告もありました。その理由はもちろん、このたびのガザ地区における激しい戦闘にあります。これまでに千人を超える人々が封鎖された都市の中で命を落としました。国連の発表によれば、その多くが子供や老人といった非武装の市民です。

私自身、受賞の知らせを受けて以来、何度も自らに問いかけました。この時期にイスラエルを訪れ、文学賞を受け取ることが果たして妥当なのかと。それは紛争の一方の当事者である、圧倒的に優位な軍事力を保持し、それを積極的に行使する国家を支持し、その方針を是認するという印象を人々に与えるのではないかと。それはもちろん私の好むところではありません。私はどのような戦争をも認めないし、どのような国家をも支持しません。またもちろん、私の本が書店でボイコットされるのも、あえて求めるところではありません。

しかし熟考したのちに、ここに来ることを私はあらためて決意いたしました。そのひとつの理由は、あまりに多くの人が「行くのはよした方がいい」と忠告してくれたからです。小説家の多くがそうであるように、私は一種の「へそ曲がり」であるのかもしれません。「そこに行くな」「それをやるな」と言われると、とくにそのように警告されると、行ってみたり、やってみたくなるのが小説家というもののネイチャーなのです。なぜなら小説家というものは、どれほどの逆風が吹いたとしても、自分の目で実際に見た物事や、自分の手で実際に触った物事しか心からは信用できない種族だからです。

だからこそ私はここにいます。来ないことよりは、来ることを選んだのです。何も見ないよりは、何かを見ることを選んだのです。何も言わずにいるよりは、皆さんに話しかけることを選んだのです。

ひとつだけメッセージを言わせて下さい。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にそれは刻み込まれています。こういうことです。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

さて、このメタファーはいったい何を意味するのか?ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。

しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。

私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。私はそう信じています。生と死の物語を書き、愛の物語を書き、人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせることによって、個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事です。そのために我々は日々真剣に虚構を作り続けるのです。

私の父は昨年の夏に九十歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもありました。大学院在学中に徴兵され、中国大陸の戦闘に参加しました。私が子供の頃、彼は毎朝、朝食をとるまえに、仏壇に向かって長く深い祈りを捧げておりました。一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。「戦地で死んでいった人々のためだ」と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと。父が祈っている姿を後ろから見ていると、そこには常に死の影が漂っているように、私には感じられました。

父は亡くなり、その記憶も - それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに - 消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです。

私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりにも高く硬く、そして冷ややかです。もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らのそしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。

考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれはありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。

https://murakami-haruki-times.com/jerusalemprize/



2023年11月11日土曜日

暖冬?

新湊マリーナから立山連峰

天気が悪いので今週末は遠出が出来ません。今日は朝から冷たい雨が降ったが夕方上がり、雲の切れ目から立山が見えました。11月に入ってからの暖かさで、先月立山に降った雪は昨日までに溶けて無くなっていましたが、今朝の冷え込みで復活していました。直近では2019-20のシーズンが酷い暖冬で、県内のスキー場はほとんど営業出来ませんでした。エルニーニョ暖冬の予報が出ている今シーズン、どうなるでしょうか?






2023年11月3日金曜日

西頸城林道、新潟県

能生川から頸城アルプス(神奈山・妙高・火打)

 秋晴れの一日。上越の名立海岸をスタートして、名立区折戸と糸魚川市下倉を結ぶ西頸城林道(広域農道)を走って来た。林道西側は日本海と火打方面がよく見えた。能生川に降りた後、能生市街から海岸線の久比岐自転車道を走って名立に戻った。朝から気温が上がり、初夏のような陽気になった。


本日のルート(道の駅うみてらす名立スタートで時計回り)
名立海岸スタート
林道から峰山(599m)
高倉から火打・焼山(奥)と権現岳
道を間違えて東谷内へ降りる
久比岐自転車道を北上して名立に戻る
帰路、上越歴史博物館に立ち寄った