2019年3月30日土曜日

高倉山(1409 m)、岩手県

高倉山山頂から和賀岳方面

朝、安比高原から雫石に移動。プリンスホテルが経営するスキー場のロープウェーとリフト二本を乗り継いて、ゲレンデトップ(1150m)に降り立つ。山頂から東に伸びる尾根に移動して登山スタート。以前は山頂直下までゴンドラが稼働していたようで、使われていない支柱が並んだ旧ゲレンデ沿いに登り、最後は高度感のある細尾根を辿って、登り始めから一時間くらいで山頂着。山頂は、下からは想像できないくらい広くて展望が良く、北側は野谷荘司の白谷ように綺麗な谷状地形になっている。うまくルートをとれば、北面を滑ってお隣の小高倉山経由でスキー場に戻る周回山スキーも可能。単独だし時間がないのでそちら行くのは我慢して、もと来たルートを戻った。夕方までゲレンデ滑降を楽しんでから東北自動車道を使って次の宿泊地の鉛温泉に移動した。
 雫石スキー場は、1993年にアルペンのワールドカップが行われた有名なスキー場だが、安比高原と同様、設置されているゴンドラリフトの半分以上が稼働しておらず、一抹の寂しさも感じられた。富山近辺に山頂北側の地形があれば、山スキーヤーで賑わうはずだが、帰宅後ネットで検索してもそれほど滑られていないようだ。



安比高原から雫石に移動

雫石スキー場から岩手山
雫石スキー場上部ゲレンデ(此処から登山)
右の尾根をたどる
山頂は広い 
山頂から秋田駒ヶ岳

鉛温泉




2019年3月29日金曜日

安比高原(あっぴこうげん)、岩手県

安比高原スキー場


安比高原スキー場は、八幡平山系の東端、盛岡市街から50キロほど離れた前森山北面に広がる。広大なゲレンデにまばらな人影。この時期、富山や新潟のスキー場にはない低温と乾燥によるドライパウダー、上部が急斜面で下部に行くほどなだらかになる、スピード中毒になりそうな条件が揃っている。ちなみに「アッピ」とは、地形に由来したアイヌ語だそうです。



ゲレンデトップから八幡平
岩手山方面 
ツリーランも楽しめる



2019年3月28日木曜日

後生掛温泉(ごしょうがけおんせん)、秋田県

後生掛温泉


出発日まで暖かい日が続いていたが、翌日から冬型の気圧配置となり、雪のなか湯野浜温泉から後生掛温泉へ異動。田沢湖まで来たところで、最短ルートの国道341が冬季通行止であることが判明。仕方がないのでいったん盛岡へ下り東北道経由でなんとか辿り着いた。この温泉は、つげ義春の漫画「オンドル小屋」の舞台になったところで、いつかは訪れてみたいと思っていた。旅館の内部はオンドル式暖房でポカポカ。期待に違わぬ素敵な温泉でした。
 翌日も冬型が続き、秋田八幡平スキー場で季節外れのパウダーゲット。昼前に吹雪になり、カラマツが美しい北東北の景色を楽しみながら岩手の安比高原へ移動した。



にかほ市の国道7号から鳥海山

冬に逆戻りの田沢湖

後生掛温泉大浴場
旅館裏の源泉地帯 
秋田八幡平スキー場
スキー場から秋田焼山 
岩手八幡平から岩手山



2019年3月26日火曜日

ぶどうスキー場、新潟県

ゲレンデトップ

 首尾よく年度末休暇をゲット出来たので、この時期恒例の東北旅行に出発。早起きしてアウトバック号で自宅発、日本海沿岸を北上して、日本海東北道現在終点の朝日まほろばインターで下りる。国道7号線を走っていると左手にスキー場らしきオープンスロープ発見。営業していないリフト券売場前に車を停めさせていただき、持参したスキーにシールを装着して、ゲレンデを登る。間口は狭いが奥行のあるスキー場で、リフトは縦に二本、ゲレンデトップからボトムまで標高差500m、滑走路距離1.5キロくらいあるようだ。2時間弱で山頂着、月山や朝日岳方面の展望が良い。準備して滑降、良く滑るザラメ雪で快適。
 鶴岡で藤沢周平記念館を見学して、湯野浜温泉までドライブ。昼間気持ち良く晴れたが、夕方一時暴風雨になった。


国道7号スタート
下部
中間部
上部は広い

第二リフト終点
ドロップ
下部の滑降
雰囲気の良いスキー場でした(また来ます)
鶴岡の藤沢周平記念館
湯野浜温泉


2019年3月23日土曜日

ライオン



前回ご紹介したマンチェスター・バイ・ザ・シーと同じ2016年(日本では2017年)公開の映画。インド出身のオーストラリア人男性が書いたノンフィクション本『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』を原作とする。
 主人公のサルーはインド北中部の街で貧しい母子家庭で育った。家族には母の他に仲の良い兄と妹がいる。5歳になったとき、ひょんなことから迷子になり、故郷の街から15000キロ離れたインド北西部の大都市カルカッタに運ばれてしまう。ここで厳しい孤児生活を送るはめになり、人身売買の手にかかりそうになる。このへんのくだりは、2008年のイギリス映画スラムドッグ$ミリオネア』を想起させます。




カルカッタで公立の孤児院に入るが、運良くオーストラリアの慈善家夫婦の養子になり、養父母のもとで西洋式の教育を受け成人します。大学ではビジネスを学び、美しい恋人もできて、一旦は幸せな人生が約束されたように見えます。しかし、まだ故郷には年老いた母と兄弟が生きているはずで、次第に子供の頃の記憶に苛まれるようになります。しまいには、精神を病んでせっかく入った会社を辞めてしまいます。問題を解決出来る鍵は、子供の頃の儚い記憶とグーグルアースを使った地形や街並みの探索だけです。
 自分も昔の旅行先の風景などが気になって、グーグルアースのストリートビューに耽溺してしまうことがあるので、主人公の気持ちは痛いほどわかります。養母役のニコール・キッドマン以外はすべて無名俳優か素人が演じている。監督もこれが第一作だそうです。最後に映画のタイトルの意味が明かされ、エンドロールの背景にびっくりするようなシーンが出てくるので、最後まで目が離せません。


2019年3月21日木曜日

マンチェスター・バイ・ザ・シー



去年観た映画の紹介をします。タイトルになっているマンチェスター・バイ・ザ・シー(Manchester by the Sea)とは、映画の舞台になっているアメリカ東海岸にある小都市の名前で、ボストン近郊の美しい港町のこと。富山なら泊や氷見のよう感じでしょうか。この映画はもともと、大手の制作会社によるものでなく、amazonがネット配信用に制作したもので、公開された2016年(日本では2017年)は、ララランドやムーンライトなどの話題作があり、日本ではあまり注目されなかった。
 主人公のリー・チャンドラーは、大都市ボストンの集合住宅で雇われ管理人(便利屋?)を務める中年男性。ちょっとハンサムな独身なので、言い寄ってくる女性も珍しくないのだが、まったく心を動かされることはなく、相手にしない。いつも不機嫌そうで、まわりと軋轢ばかり起こしているやっかいな人。あるとき、以前住んでいた港町の病院から仲の良い実兄の死を知らせる電話があり、ここから物語が展開していく。離婚歴のある兄には、未成年の一人息子パトリックが居て、リーはこの甥っ子の後見人を依頼される。パトリックは難しい年頃、学校ではアイスホッケーとロックバンドの活動に夢中で転校したくない。なので、リーに港町に戻って来て欲しいと懇願する。しかしリーは、この街で自身が引き起こした忌まわしい事件の記憶を引きずっており、街に戻ることに大変な苦痛を感じている。ネタバレになるので書けないが、主人公の経験は、その身になれば胸が張り裂かれるような深刻なもので、彼が置かれている苦境や不機嫌さの根源になっている。物語は、リーとパトリック、前妻のランディや数少ない友人など数人の日常を通して淡々と進んで行くのだが、リーがこの後自殺してしまうのか、何かのきっかけで立ち直っていくのかが分かるようには描かれない。ただリーにとって、子供の頃から知っている甥のパトリックが唯一の希望であり救いになっている。
 リーが港町で、他の男と再婚したランディと出会うシーンと亡兄の家で見る夢のシーンがクライマックス。リー役がケイシー・アフレック、ランディ役がミシェル・ウィリアムズ、出色の演技でファンになりました。








2019年3月8日金曜日

絶学無憂

北陸新幹線の車窓(上田あたり?)から浅間山


山内恭彦

定期的に訪れる出張先の書棚に「絶学無憂〜山内恭彦先生 遺稿と追悼」という本が置いてある。この本は非売品でamazonからも購入出来ないので、出張時の空き時間限定で読ませてもらっている。今週の出張時にだいたい読了出来たのだが、内容が大変興味深いのでココに書いておく。まずタイトルの「絶学無憂」とは老子の言葉で、意味はコチラ↓
https://ncode.syosetu.com/n0551bz/
http://www.roushiweb.com/category2/entry8.html
 山内恭彦(やまのうち たかひこ)とは、1902年生まれの高名な理論物理学者、戦前から昭和の半ばまで東大や上智大で教授を勤められた。この本は、山内氏ご本人の遺稿と多くの関係者による寄稿からなる。氏が若い頃に行った原子の内部構造に関する理論研究の成果をその当時来日したニールス・ボーアに説明したところ真っ向から否定されてしまい、その理論を引っ込めてしまったが、実はボーアの方が間違っていて、そのままその研究を続けていれば、湯川・朝永に先んじてノーベル賞を受賞した可能性があった。
 また晩年は科学哲学にも取り組んで何冊かの一般書も出版されており、こちらは古本として入手可能である。登山と写真が趣味で、山岳写真や高山植物の写真も多数遺稿として掲載されている。特に面白かったのは、科学雑誌編集者の村松武司氏の「秋茫々」という文章。これによると、記録に残さないという約束で、山内が小林秀雄と対談したことがあるというのである(二人はともに東京出身で、中高大の同級生)。当時小林はアンリ・ベルグソンの哲学に傾倒しており、精神の在処についてちょっとオカルト的な考えに取り憑かれていた。小林は対談の中でこのことを取り上げ、山内から手酷く論駁され泣き顔になっていたらしい。小林はこのことで動揺したせいか、対談場所に入れ歯を忘れて後日取りに来たというオチがつく。小林は文学者なので、科学的に間違ったことを言ったとしても咎にはならないと思うが、後年泣く泣くベルグソンの考えを放棄したそうである。この対談がその理由の一つになったのかもしれない。



2019年3月3日日曜日

城山公園、富山県

小矢部の城山公園

暖かくなってきたので、久しぶりにサイクリング。ロードバイクで自宅発、伏木〜高岡〜小矢部を周回してきた。


本日のルート
牧野大橋から伏木の工場群と二上山
高岡山町筋
金屋町
千保川
新設されたやぶなみ駅
福岡のカメラ館で写真展を見学
城山公園上の今石動城跡