2017年2月25日土曜日

片折岳(1346m)、富山県

片折岳から金剛堂山

上百々瀬の除雪終了地点に車を停めて、片折岳経由で栃谷を周回してきた。夏道登山道から登り、対岸の尾根を滑降。
 早朝は時折降雪が激しくなる悪天、家で寝とけばよかったかなァと陰鬱な気持ちで歩き始めたものの、徐々に晴れてきて最後はピーカン。山頂で早めのランチの後、北西に伸びる尾根を降った。20〜30cm下で底つきはあるものの気持ち良く滑れた。春の日差しで、最後は暑くて上着を脱いだ。午後から予定が入っていたが、余裕で昼前に戻ることが出来た。




本日のルート(右回り)

除雪終了地点に駐車

百瀬川にかかる橋を渡る

栃谷のスノーブリッジを対岸へ

夏道の尾根を登る

片折岳 

静寂のブナ林

晴れてきた

ピーカン
曲がりブナ

山頂から金剛堂山

三ヶ辻山と人形山

西側の尾根を滑降

対岸の斜面にはカモシカトレースが縦横無尽

快適斜面

栃谷の主

百瀬川

(使用カメラ:LUMIX DMC-GM5+12-32mm/F3.5-5.6)

2017年2月22日水曜日

耳骨のナゾ



クジラのテレスコーピング
左から、パキケタスレミントノケタスドルドンアゴロフィウス、アマゾン河イルカ(現存)、エティオケタス(ヒゲクジラ祖先)、シロナガスクジラ(現存)


以前の記事で取り上げたクジラ類の進化の話の続きです。上の図は、アメリカの古生物学者による

Whale Origins as a Poster Child for Macroevolution

というタイトルの論文から引用したもの。約5000万年前に陸上で生活していた祖先クジラ(クジラとカバの共通祖先パキケタス)から現存クジラにいたる頭蓋骨の変化の様子を描いたものです。注目すべき点は、黒く塗りつぶして示されている鼻孔の位置の変化で、パキケタスでは、他の陸棲動物と同様に頭の先端(口の近く)にあったものが、徐々に後退して現存クジラでは頭の天辺に移動しています。これは、クジラが陸上から水中生活に適応して行く過程で、体を水中に沈めたまま呼吸出来るよう鼻孔の位置を変化させた、と考えられていて、潜水艦の潜望鏡になぞらえてテレスコーピングと言われています。

 さて、パキケタスの化石が最初に発見されたとき、この四つ足動物がクジラの祖先と考えられたのは、その耳骨の形が現存のクジラやイルカのものに似ていたことが主な根拠でした。耳骨とは、ヒトでは耳小骨と云い、鼓膜の内側にくっついている小さな骨のことで、空気の振動である音を脳に伝える働きをしています。クジラは、音を空気ではなく水から受け取る必要があり、鼓膜を通すことなく骨伝導により知覚しています。この水中から直接音を受け取って脳に伝えるのが、クジラの耳骨です。陸棲動物の耳小骨に比べると分厚く肥大した形状をもっていて、イルカのものは、アクセサリーとして愛好されていたりします

イルカの耳骨

 これが頭部化石からみつかったことで、パキケタスはクジラ祖先の地位を与えられるようになったわけですが、最初に見つかった化石の四肢が欠損していたために、1990年代までは現在考えられいるよりクジラに近い再現図が描かれていました。


1983年のScience誌の表紙に描かれたパキケタスの再現図

その後全身骨格の化石が発見され、現在では、りっぱな後ろ足をもつ大型のイタチのような再現図が描かれています。

image 32
現在の再現図

この四つ足の獣が、クジラのような耳骨をもっていたのは既に書いた通りで、なんとなく納得してしまう進化のストーリーでした。しかし、よくよく考えてみるとパキケタスはまだ水中生活に十分適応しておらず、音は主に空気から感知していたはずです。ではなぜクジラのように水中に適した耳の構造を既にもっていたのでしょうか?

 これは生物学でいうところの「前適応」なのだと思います。しかしこの考え方には批判があり、進化論を疑う根拠にもなっています。このナゾを説明する動画がYou Tubeにありました。




冒頭に挙げたクジラ頭骨の変貌のように、種を超えた大きなスケールの進化のことをMacroevolutionというらしいです。これが不思議に感じられるのは、頭の良いマジシャンがテレビ番組で「時計よ止まれ」と唱えると、本当に止まってしまったという人が大勢現れるのと同じ理屈で、英語ではstochastic effectと言います。おそらくパキケタスは、特に有利でもないのに、たまたま大きな耳骨をもってしまい、そのことがその後クジラに進化するきっかけとなったのでしょう。これは、スティーブジョブスの「点を結ぶ」話と共通点がありますね。


2017年2月4日土曜日

日照岳(ひでりだけ、1751m)、岐阜県

山頂から白山

冬晴れの一日、名古屋のKさんと御母衣湖から日照岳に登ってきた。

6:30 国道 〜 7:55 1160mピーク 〜 1534mピーク 10:55 山頂 11:30 〜 1534mピーク 11:40 〜 国道 12:20

この山は四年ぶり。登り前半は急傾斜の細尾根に手こずるが、やがて傾斜の緩い広尾根となる。最後はブナとダケカンバの疎林となって、最上部ではアルペンムードも味わえる。山頂は360度の展望台、人形山〜猿ヶ山〜三方崩山〜白山〜大日ヶ岳〜御岳〜乗鞍〜北アルプスがぐるりと見渡せた。下りは安全のため、登った尾根を大きく外さないよう注意して北側の沢を滑った。ハイシーズンのパウダーを満喫。

Kさん、お疲れさまでした。またお願いします。


本日のルート

朝日

急傾斜の尾根に取り付く

眼下に御母衣湖

複雑な地形のルートを読む
傾斜が緩んで展望が良くなる
最後は美しいブナ尾根

登頂

北アルプス方面

山頂から滑降(Kさん撮影)
谷を滑降(Kさん撮影)

飛んで下さい

国道ゴール、お疲れさまでした。

(使用カメラ:LUMIX DMC-GM5+12-32mm/F3.5-5.6)

2017年2月3日金曜日

北陸の気候変動

富山に来て10年近くになるが、関東や関西に住んでいた頃に思っていたほど北陸は寒く無い、というのが実感である。富山出身の知人から、子供の頃はもっと雪が多かった、とか、雪の重みで屋根が壊れた、平地でも一階の軒下まで雪が積もって二階の窓から出入りしたなど、ちょっと大袈裟ではないかと思うような話を聞いたことがある。それで実際のところどうなのか、ネットを使って調べてみた。一番わかりやすかったのが次の記事。

東京管区気象台ホームページ>>気候変化レポート 2015 -関東甲信・北陸・東海地方->>第 2 節 北陸地方と各県の気候変化


この記事によると、統計のある1946〜2015年の間に一年を通した平均気温は+0.9℃上昇している。



季節別にみると秋(9〜11月)の上昇幅が大きく、+1.2℃上昇しているが、冬の変化はわずかである。一方、年平均の降水量は、この50年間ではほとんど変化していないが、冬の降水量が19%減っており、降雪量は半分以下になっている。



 年間累積降雪量のグラフ(上)をみると、1980年代後半の変化が顕著で、この時期数年の間に平均降雪が約半分になっている。知人が二階から出入りしていたというのはどうやら本当で、1987年頃迄の記憶なのかもしれない。また異常高温や少雨、大雨が起こる回数は増加傾向にあり、異常低温の頻度は減っていて、これは全国的な傾向と一致している。

この記事には将来の見通しついても述べられており、現在気候(1980〜1999年)に比べて将来気候(2076〜2095年)は、気温が約3℃上昇し、異常気象の回数が増えると予想されている。冬の気温は従来の傾向とは異なり、他の季節に比べて上昇量が大きい。



降水量の変化はほとんどないが、気温の上昇のため年間降雪量は150cmくらい減ると予想されている。現在の富山市の降雪量が250cmくらいなので、半分以下の100cmくらいになり、現在の滋賀県や島根県の降雪量と同じくらいで、もう雪国とは云えなくなる。





その頃には自分はもう生きていないが、いずれスキーが出来なくなってしまうとすれば若い人には気の毒に思う。サルやシカ、イノシシなど今平地に近い場所に棲んでいる野生動物が標高の高い場所に進出して行くと、立山の雷鳥は早晩絶滅する運命にある。この予想を覆すような施策を立てるのは並大抵のことではないだろう。