2019年3月8日金曜日

絶学無憂

北陸新幹線の車窓(上田あたり?)から浅間山


山内恭彦

定期的に訪れる出張先の書棚に「絶学無憂〜山内恭彦先生 遺稿と追悼」という本が置いてある。この本は非売品でamazonからも購入出来ないので、出張時の空き時間限定で読ませてもらっている。今週の出張時にだいたい読了出来たのだが、内容が大変興味深いのでココに書いておく。まずタイトルの「絶学無憂」とは老子の言葉で、意味はコチラ↓
https://ncode.syosetu.com/n0551bz/
http://www.roushiweb.com/category2/entry8.html
 山内恭彦(やまのうち たかひこ)とは、1902年生まれの高名な理論物理学者、戦前から昭和の半ばまで東大や上智大で教授を勤められた。この本は、山内氏ご本人の遺稿と多くの関係者による寄稿からなる。氏が若い頃に行った原子の内部構造に関する理論研究の成果をその当時来日したニールス・ボーアに説明したところ真っ向から否定されてしまい、その理論を引っ込めてしまったが、実はボーアの方が間違っていて、そのままその研究を続けていれば、湯川・朝永に先んじてノーベル賞を受賞した可能性があった。
 また晩年は科学哲学にも取り組んで何冊かの一般書も出版されており、こちらは古本として入手可能である。登山と写真が趣味で、山岳写真や高山植物の写真も多数遺稿として掲載されている。特に面白かったのは、科学雑誌編集者の村松武司氏の「秋茫々」という文章。これによると、記録に残さないという約束で、山内が小林秀雄と対談したことがあるというのである(二人はともに東京出身で、中高大の同級生)。当時小林はアンリ・ベルグソンの哲学に傾倒しており、精神の在処についてちょっとオカルト的な考えに取り憑かれていた。小林は対談の中でこのことを取り上げ、山内から手酷く論駁され泣き顔になっていたらしい。小林はこのことで動揺したせいか、対談場所に入れ歯を忘れて後日取りに来たというオチがつく。小林は文学者なので、科学的に間違ったことを言ったとしても咎にはならないと思うが、後年泣く泣くベルグソンの考えを放棄したそうである。この対談がその理由の一つになったのかもしれない。



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