登山にもサイクリングにも出かけられない悪天の休日、久しぶりに街の映画館に出かけて、「ブレードランナー2049」を見てきた。オリジナルの「ブレードランナー」は1982年公開、「エイリアン」で有名なになったリドリー・スコット監督のアメリカ映画。オリジナル版は再編集されたものが何度もリバイバルされているが、自分は学生のとき福岡の映画館で封切版を見た。当時キネマ旬報を初めとする映画メディアが決めるベスト作品ランキングの中に、この映画を入れているものは皆無で、つまらない映画が上位にランクされているのを見て、以来そういうものは信用しないことに決めた。
原作になったフィリップ・K・ディックの小説(1968年)は、火星から逃亡してきたアンドロイド(機械仕掛けの人造人間)にまつわる物語で、人間と人工知能の違いをテーマにしている。映画では、原作のアンドロイドがレプリカント(複製人間?)に置き換えられていて、機械ではなく遺伝子操作技術を使って造られた生き物とされている。このレプリカントは、今風に言えばクローン人間であり、1982年当時は架空の存在であったのが、今ではクローン技術が発達したおかげで技術的には作成可能である(クローンネズミやクローンヒツジは既に造られている)。オリジナル版では、ハリソンフォード演じる元警察官の主人公デッカードが、逃げる女性レプリカントを後ろから容赦なく撃ち殺す場面があるように、映画が描く2019年の社会ではレプリカントの命は軽く扱われていて、主人公がこれに疑問を感じていく、というのが主なストーリーであった。2049では、寿命が短く定められていた最初のレプリカントを改良した寿命の長い第二世代が反乱を起こして、世界が大混乱に陥った後の世界が描かれている。その後、第二世代までを作ったタイレル社を買収して出来たウォレス社が、寿命が長く従順なレプリカントを普及させており、ララランドのライアン・ゴスリング演じる警察官の主人公Kも第三世代レプリカントである。Kは、第二世代までのレプリカントを見つけて解任(処刑)する仕事に就いているが、自分に植え付けられた人工的な記憶のことで悩んでいる。Kがこの記憶の跡を辿り、その謎を解いていくのが2049のストーリーである。オリジナル版主人公のデッカードが何を考えているのか分からない不気味な男だったのが、2049の主人公は人間的で共感出来るキャラクターになっている。しかし、年をとったデッカードや折り紙好きの元同僚、オリジナル版レプリカントのレイチェルやプリスのソックリさんが登場し、麻薬的な映像と音楽、猥雑な日本の都会を思わせる街の風景も健在で、旧来のファンも飽きさせない内容となっている。ちなみに旧作の冒頭に出てくる「二つで十分ですよ」の日本語を話す俳優はロバート岡崎さんという当時82才の方で、映画公開三年後の1985年に亡くなっているそうである。
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